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回向院(えこういん)は、東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗のお寺です。江戸三十三箇所観音霊場の第4番札所でもあります。
振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれる明暦の大火(1657年)の焼死者10万8千人を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った万人塚が始まりです。
あらゆる宗派だけでなく人、動物すべての生あるものを供養するという理念から、ペットの墓も多数あります。
1781年(天明元年)以降には、境内で勧進相撲が興行されました。
これが今日の大相撲の起源となり、1909年(明治42年)旧両国国技館が建てられるに至りました。
1936年(昭和11年)1月には大日本相撲協会が物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」を建立されました。
巷でパワースポットとして有名な「ねずみ小僧」こと鼠小僧次郎吉の墓があります。
長年捕まらなかった大泥棒ねずみ小僧にあずかり、その墓石を削ってお守りにすると、強運開運のご利益を授かれると言われております。
(墓石の前に削るための石があり実際に自由に削ることが出来ます)
東京都墨田区両国2-8-10

大泥棒ねずみ小僧次郎吉の墓がある強運開運パワースポット

回向院の入口境内の力塚

回向院は、今からおよそ360年前の1657年に開かれた浄土宗の寺院です。
この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。
この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。
当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、
「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。
このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。

鼠小僧次郎吉のお墓鼠小僧供養墓の云われ

日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのための勧進相撲興行でした。
その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和5年のことで、寛政年間を経て文政年間にいたるまで、勧進相撲興行の中心は回向院とされてきました。
やがて天保4年より当院は春秋二回の興行の定場所となり、明治42年の旧両国国技館が完成するまでの76年間、回向院相撲の時代が続いたのです。
力塚の碑は、昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したものですが、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑として、現在も相撲と当院とのつながりを示す象徴になっています。

墓を削る私ガリガリ墓を削る私

時代劇で義賊として活躍するねずみ小僧は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗み、町民の長屋に小判をそっと置いて立ち去ったといわれ、その信仰は江戸時代より盛んでした。
長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛んで、現在もギャンブル運向上や合格祈願に来る受験生方があとをたちません。