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開運★当り隊

皆中稲荷神社があるJR大久保・新大久保駅の周辺は、江戸時代幕府が編成した鉄砲隊の居住区でした。
その部隊が鉄砲百人組と呼ばれていたのが、現在の地名、百人町の由来だそうです。
宝くじに御利益があると言われる皆中稲荷神社は、その百人町の一角にあります。
幕府が甲州街道の防衛を考慮して、鉄砲百人組をここに駐屯させたのは良いが、実力はいまひとつだったのか、いくら訓練しても、なかなか思うように当らなかったそうです。
そんなある夜、眠りについたひとりの旗本の夢枕に稲荷大明神が立ち、霊符を示されたのだそうです。
そして翌朝、射撃を試みたところ、なんと百発百中!この話が近郷近在に伝わり、世間で「みなあたり(皆中)の稲荷」と崇拝されるようになったそうです。
全国各地の夢ふくらむ皆さんにも『皆中稲荷神社』の噂はクチコミで広がっているらしく、「せめて御守りだけでも!」という電話も絶えないそうです。
東京都新宿区百人町1-11-16

東京新宿の「みなあたり」稲荷パワースポット皆中稲荷神社

皆中稲荷神社の入口入口の鳥居で記念撮影

天文二年(1533)九月二十七日稲荷之大神を神社に奉斎。
以来此の地の総社として鎮祭、新宿の発展と共に重要なる 地位を与えられ由緒ある歴史をもつ神社として篤く信仰されております。
寛永年間、徳川幕府が「鉄砲組百人隊」を(現在の新宿区百人町) に駐屯させてより「鉄砲組百人隊」は旗本や上下の士に篤く信仰され、 また町名も百人町と名づけられました。(百人町の由来)

御利益が有りそうな雰囲気の境内開運招福大明神と書かれたのぼり

当時、鉄砲組与力が射撃の研究に精魂を傾けておりましたが、なかなか思うに任せず、一夜煩悶のまま眠りに落ち入りましたところ、 稲荷之大神が夢枕に立たれ霊符を示されました。
翌朝不可解なまま社頭にお参りを済ませ、大矢場にて射撃を試みた ところ百発百中、全て的中、見事な進境に驚いたとのことであります。
これを目のあたりに見た旗本の士が競って霊符を受け射撃をしたところ、 みな百発百中的中したと伝われます。

鉄砲百人隊の云われが書かれた看板拝殿で宝くじ高額当選参拝

この話しが、近郷近在に伝わり、唯射撃のみでなく様々な願い事をする 参詣者が日増しに多くなり、
不思議な神託霊夢など幾多の霊験あらた かなものがあり、世人はこの神社を「皆中(みなあたる)の稲荷」
と称える ようになり、それ以後「皆中稲荷神社」と云う名で呼ばれるようになりました。
(皆中稲荷神社HPより)

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